六甲山マラソンは実在した?
神戸の高齢者の方から"六甲山でのマラソン競技大会"が過去に実在したかのように語られることがあります。
ホンマかいな?と神戸図書館などで資料を紐解いてみました。
史実として残っているのは下記のものでした。
情報がございましたらお知らせください。
<六甲山マラソン大会>
明治五年 1872年 四月の初旬に居留地から摩耶山までの往復マラソン 距離14キロ弱が行なわれた。 折り返し点は天井寺直前。
シム、グルーム、ブラックウェルら数名が出場しシムが1時間24分30秒で優勝。
神戸新聞総合出版センター 神戸スポーツはじめ物語 高木応光(たかぎ・まさみつ)著
往復14キロ弱・・・というのが、短く思えてどうも怪しいのですが。。
<神戸アルプス縦断徒歩競争大会>
神戸新聞社が開催
第1回 大正11(1922)11月
大倉山公園 湊川遊園地 鍋蓋山 鳥原水源地
優勝者は1時間20分37秒
第2回名称 ひよどり鵯越横断競争大会
第3回名称 山岳競争大会
プレイランド六甲山史 (株式会社 出版科学総合研究所 昭和59年1月発行)
<六甲山マラソン>
1966年第1回大会開催。 兵庫県教育委員会主催。
1968年開催のメキシコオリンピックに向けた標高2300メートル対策の高地トレーニングとして行われた。( ・・・らしい ) 大会の箔付けに有名選手が招待され 1位はアベベ 2位が君原健二だったというが、記録として残っておらず真偽の程は定かではない。
メキシコオリンピックで君原健二が銀メダルを獲得したため、大会としてはその役を終えたかに思われたが市民マラソンとして継続され第11回大会では参加者は1000人を越えたと言う。
その後15年続き、惜しまれながら幕を閉じた。
その理由は、高地のマラソンによる参加者の健康状態が危惧された為。
出典は兵庫県・神戸市史料関係の書籍から断片的に拾ってきたものです。